びーやんのブログ

ゆとり教育をフルに享受してきた、おっとり系スモールリサーチャーのブログ

体罰は容認できない 〜教師による体罰と体罰による影響(体験談)〜

お疲れ様です、

 

びーのブログにようこそです。

 

 皆さんは体罰を受けたことがありますか?恐らく体罰を受けた方はその体験を忘れることはないと思います。私、beは小学校では地元の少年野球チーム、中学校では野球部に所属しておりました。いずれの野球チームも体罰が当然のように行われており、(2005年〜2010年の話です)23歳の今でも忘れることは有りません。本当に地獄でした。

 当時は体罰経験は頑張って忘れる記憶の対象でしたが、8年経った今改めて過去を振り返り、あの体罰はなんだったのか? 自分が大人になっても、体罰に対する明確なスタンスを体験者の立場から明確に他者に伝えることができるのか? 実際自分が体験した経験をただ忘れることが正しい事なのか?いろんな葛藤の中で、自分が受けてきた体罰経験に一区切りをつけようと今、震えながらパソコンに向かっています。

 

どうぞ皆さん、最後までお付き合いいただければ幸いです。

 

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体罰は断じて許されるものではない

 

はじめに

  体罰を受ける理由は、試合でミスをしたり、声が小さかったり、指導者から見てやる気がないように見えたり、といった理由でした。これは指導者の主観的な判断によるものです。以下が具体的な体罰の内容です。

何かを投げられる

ボール、メガホン、小石など。

全体で輪になって集まっているときに小石を投げられた時は、肉体的には痛く有りませんでしたが、精神的に辛かったですね。「はい、すみません」しか反応できませんし。

単純に叩かれる

指導者たちはいろんな技を持ち合わせていました。 

どれもしっかり痛いです。そのあとに暴言という精神的に痛い技も繰り出してきます。

蹴られる

蹴られる頻度はあまり多くはありませんでしたが、 野球のスパイクでそれはあかんでしょうという感覚は、当時のうぶな子供には持ち合わせていませんでした。

胸ぐらを掴まれる

お前わかってんのか!という文言を添えて 

体罰が終わった後のデザートのようなものですね。一通り話しが終わった後にもうすぐで手が伸びて来るぞ、来るぞ、あっ来た、うぐぅ... の実況を心の中でしてました。そうした方が気持ちが楽になるんですよね。

 

当時の指導者たちは、逆に自分が今から自分がすることをされたら傷つくとは、思わなっかたのでしょうか?これまで自分も同じように指導を受けてきたから、次の代にも同じ痛みをもたらしても良いと判断していたのでしょうか。beにその思考は生涯理解できません。

絶対に自分は暴力によって、相手に自分の意思を伝えるような人間にはならないと誓います。

 

体が動かなくなる

 頭がコーチによる体罰による恐怖に支配されていますから、体は思うようには動きません。動かない体に失望して試合に出たくないと思うようになり、守備に就いていても、「ボールよ頼むから飛んでくんな」と呟きながら守備に就いていました。これでは上手くなるわけがありません。

イップス

 特に、近距離のキャッチボールができなくなりました。暴投してしまうとコーチに怒られるという恐怖が頭でいっぱいになるようになってから、ボールを離す瞬間に手から脳にかけて電気が走るような感覚に襲われていました。チーム全員でのボール回しは本当にドキドキで、自分の番が回ってくる前に誰かが失敗してくれないかなと、つい考えてしまいました。(誰かがミスをすると、全員参加のベースランニング一周 or 腕立て伏せ50回の連帯責任というルールでした)

バントができない

頭の中が失敗後のイメージでいっぱい、(失敗したらヤバイ、殴られる... ) ボール球を追いかけて失敗。ボールは前に転がりません。

盗塁死

絶対セーフになるぞ、セーフになるぞ、行ける!ではなく

やばい怒られる、どうしよう、(体が勝手に動く)牽制アウト or ランダウンプレー

でアウトになり、ベンチに帰って叩かれる

 

このような精神状態で野球をやっていたので、もはや何のために野球をしているのかわかりませんでした。辞めなかった理由は、あいつは逃げたと思われたくなかったのと、親に反対されたからでしたが、今思うとそんなに辛かったら、他のことやれば良いのにと冷静にツッコミを入れたくなりますが、当時は自分に知識がありませんでした、多様な生き方があることも知らない、田舎のウブなスポーツ刈りの子供だったのです。今の世代は分かりませんが、それでも周りに流されて、おかしいと思うことをおかしいと思わずに、黒をグレーであると自分に言い聞かせてプレーを続けている選手もいるのではないでしょうか。そのように感じながら過ごす時間はすごく無駄であると思う。 

 

体罰が当たり前だと思ってしまう

 Beが高校生の時に、桜宮高等学校のバスケットボール部の主将が、体罰によって自ら命を絶つという痛ましい事件が起こりました。しかし、連日テレビで放送されて放送されていた映像を観て、恐ろしいことに、beはこれって普通にあることなんじゃないの?と思ってしまったのです。実際に体罰を受けていて苦しんでいたのにも関わらず、体罰現場を離れて、数年後にテレビで取り上げられている体罰現場を見て思った感想がこの有様です。この件を機に体罰問題が取り上げられ、社会問題になった時には、自分が受けてきた体罰はこのように批判されてしかるべきことだったのかと、本当に驚いたのと同時に、死者が出て初めて大人たちが問題視する、テレビに出ているコメンテーターは平成の世にいまだに体罰があるのかと、さも体罰など平成の世に存在しないかのようにコメントをしているのを見て愕然とした。体罰は禁止されていたことなのか、では体罰は禁止されていると分かって、大人たちは体罰現場を見て見ぬ振りをしていたのか。

どうして... 

 

桜宮高校の事件については以下のURLから確認してみてください

参考記事:体罰排除、道半ば意識改革の難しさ浮き彫り

 

もしかしたら、当時の指導者たちも同じように感じていたのかもしれません。周りのコーチが体罰をしているから自分もして良いのだと、これが子供にとって最良の指導なのだと、ふざけるなよ 

 

自分が正しいと思う軸を持ち、その正しいと思うこと貫く、これは難しいことであります。もしも組織で力を持っている上層部たちが、自分が思う正しい事とは違うことをしている、貴方は正しいと思うことを貫けるでしょうか?beも貫ける自信はありません。おそらく野球部のコーチ陣と同じように周りがしているから、これは正しいと思い込むようにすると思います、その方が楽ですから。でも、その考えで被害を被っている方がいらっしゃれば、beは、小中時代を思い出し、反主流派になります。ほんまにやれるかな、いや、やるぞ。 

 

自尊心がなくなる

後輩からも

ooさん=いつも怒られてる人

というイメージがつき、普段から舐められるようになります。多感なお年頃のbeには耐えられない屈辱でした。みんなの前で、しかも他の部活動の人も見ている前で、自分は殴られるのか、恥をかかなければならないのか、とても耐えられませんでした。

 

どうしたら怒られないで済むかを考えてプレーした結果、公式戦ではベンチ外、外野で応援、メンバーの荷物持ちという結末でした。とうとう野球部卒業の年の春頃には見切られ、声を掛けられることも無くなりました。

 

また自分がいることで他の人に迷惑がかかるのではないのかという恐怖感から、高校、大学と、一切部活動とサークル活動には参加しませんでした。

 

言語化することが面倒になる

 練習で上手くできない、試合でミスをした時、指導者として言語的に説明をしてくれれば良いのですが、 

コラッ、ボケッ、ダボ! 何をしとんじゃ! 

気合い入っとんか!

と言葉ではなく、汚い音で相手を感情的に威嚇されただけでしたので、顧問の意図していることがよく分かりませんでした。

このような指導を少年時代に受けていたためか、自分の思うことと違うことを他の人がやっているのを見るとどうしても、

は? おい、こら、

などと相手を威嚇するような言葉を発して、相手を納得させてしまおうという自分がいました。何故なら、威嚇して相手をビビらせた方が楽なんですよね。頭で自分の考えを組み立てる前に、汚い言葉を発すれば、相手が自分が間違えたことをしてしまったのかと、気づいてくれるかもしれないですから。ちなみに、この誤ったクセは海外留学をしたことで根底から矯正されました。大体、言語自体が違いますからね。言語化して相手に伝えるのって難しいことなんだと学ぶことができて良かったです。この考えのままだと大人になっても、自分の意思を言語化して伝えるのではなく、威嚇することだけで伝える社会人になってしまったのかもしれません。

 

誓い: 

相手の行動を疑問を持ったら、まず聞く耳を持つ、それで自分の考えと照らし合わせ説明する、感情に身を任せない。

 

最後に

皆さま、最後まで読んでくださいまして誠にありがとうございました。今この記事を書き終えた私のシャツは冷や汗でびしょ濡れです、とっても気持ち悪いです。今年、beは24歳になる年ですが、当時の体罰を振り返ると今も辛いです。ですが同時に、自分の嫌な過去をこうして言語化し、文字起こしにすることで、少し過去のモヤモヤがスッキリした気がします。

 

今現在体罰を受けて苦しんでいる君へ

体罰は学校教育法で禁止されています、許されることはありません。

今の現状に耐えらえれない、おかしい、辛いと感じていたら以下の公的機関に相談してみてください。親に相談しても良いが、彼らはどうしても現状維持を望むので、できれば第三者に相談するのがオススメです。実際自分が親に相談した時は、部活をやめることは反対されましたし、学校も部活をやめることは許さないという立場でしたので、本当に辛かったです。公的機関に相談しましょう、専門的な知識を持った人が対処してくださります。

 

24時間子供SOSダイヤルは、文字通り24時間受付ていますので、不安で眠れない夜、どうすることができない現状に直面し、絶望している早朝にも相談をすることができます。 

体罰の定義:体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について

相談URL:24時間子供SOSダイヤル

もし、今の状態が辛いなら、逃げてしまって全然構わない。石の上にも三年という諺は今とは全く時代が異なる時代に作られた、ただの文句に過ぎないのだから。

 

もちろん最近SNSで拡散され、テレビにも取り上げられているような、教師に明らかに反抗し、挑発をしている子供は論外です、あれは然るべき処分を受けるべきです。(もちろん暴力によるものではなく)子供からの挑発や暴力に教師は同じ土俵で対応してはならないのです。

 

参考URL:学校教育法

参考URL:学校での体罰禁止...法律ではどう決まっている?

 

では、本日はこの辺りで

 

弱者に対する体罰がなくなりますように

新しい令和に祈願します。

 

失礼致しました。

 

辛かったら誰かに伝えるべし

相談URL:24時間子供SOSダイヤル